みなさん、エンジョイしてますか?

新型コロナに伴う緊急事態宣言もいよいよ解除されそうですね。
第2波も予想されていますので、しばらくは慎重な行動が求められますね。

こんなときには、そう、歴史調査です。

秀郷については、残された資料が少なく多くのことはわかっていません。そこで、後世に秀郷流武士の嫡流と言われた小山氏について調べることにしました。

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同書は論文集になっています。

秀郷の本拠についてに考察が、佐久間弘行さんの「俵藤太伝説と秀郷流藤原氏」の論考にありましたので引用しておきます。

以下引用 P33
「秀郷の本拠地についてはこれまでのところ有力な手がかりはない。小山氏や足利氏などの子孫の武士団の分布から考えれば、下野国南部と考えるのは妥当であろう。秀郷の子孫は五代目の頼行の後に、渕名太と太田太夫の二つの系列に分裂した。渕名太夫の本拠は上野国佐位郡渕名(群馬県伊勢崎市)、太田太夫のそれは武蔵国埼玉郡太田(埼玉県久喜市)であろう。前者の一族は下野国南西部から上野国東部にかけて、対して後者の一族は武蔵国東部・下総国西部・下野国南東部にかけて分布している。すなわち、渕名太夫の系統は下野国から上野国に至る東山道に沿って、太田太夫の系列は武蔵・下総の国堺をなす古利根川水系に沿って、それぞれ拡散していったと規定できるだろ。」

この後の考察で、陸上交通路だけでなく水上交通路の掌握も志向していたのではないかと述べています。

では、どこから拡散したのか。
当時の河川状況も踏まえて考察していく必要がありそうです。

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