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今回はこちらの本を調査しました。



Ⅲ 東山道をたどる
十 下野国の東山道(p150)
万葉集にも名を残す下野国南部の東山道

渡良瀬川を渡って下野国に入った東山道は、おおむねJR両毛線に近いルートで東方に向かった。
(中略)
東山道は、足利駅からはさらに東へJR両毛線およびこれと平行する主要地方道67号桐生岩井(舟)線に沿って東行し、佐野市の中心部を通過すると、やがて正面右手に三毳山が見えてくる。このあたりは関東平野に北から足利山地が張り出しており、三毳山はその突出端にある。東山道は突出しすぎた三毳山の北辺の地峡を東西に横断する。
次の三鴨駅(岩舟町新里)は、三鴨の地名によって、早くから三毳山の周辺とされてきた。三毳山(標高209m)はこのあたりを象徴する山で、万葉集に次の歌がある。

 下野の 三毳の山の小楢のす ま妙し児ろは 誰が笥か持たむ(巻14、3424)

最初に三鴨駅を三毳山付近に比定したのは、『駅路通』の大槻如電で、下津原村(現岩舟町下津原)とした。地峡の南北に当たり、如電は三毳の丘の北にあるとする。円仁(慈覚大師)の父が三鴨駅の駅長を務めたとの話もあり、その円仁の生地とされるのが、この岩舟町下津原である。駅路が可能な限り直線的に進むと考えれば、地峡周辺にあると考えるのが妥当で、ここでは高崎寿によって指摘された岩舟町新里とする(高崎「東山道」奥田久編『栃木の街道』栃木文化協会、1978年)。前後のバランスからもこの比定は妥当である。前足利駅から三鴨駅まで16.2キロを測る。なお、三鴨駅を「みかも」と読まず、「みかほ」とするのは、『延喜式』の九条本家本の読みにしたがっている。
三鴨駅の付近は両側を山に挟まれた土地であるが、ここを出た東山道が三㌔ほど東進すると、ふたたび関東平野の北端にでる。岩舟町和泉付近で、ここから東山道は東北方へ変針して、下野国府(栃木市田村町) の西南端まで一直線に走る。


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